お知らせ

2013フィリピン台風ハイエン被災者医療支援 2013年12月15日

第三次本隊 報告書

2013年12月15日・フィリピンレイテ島Ormoc市Ormoc District Hospital

【本日の活動概要】
今日は日曜日で巡回診療は行いませんので、Ormoc District Hospital(ODH)で支援を行いました。三次隊医師1名は本日帰国ですが、その前に少しでもお手伝いが出来ればと、午前中はマレーシアのMercyチームの屋外テントで処置を手伝いました。その後、外来外科に患者が来たということで対処に当たりました。左ひざに裂傷と骨折を負った患者の処置は、日本なら大抵手術室となりますが、スペース不足のため受付横の廊下のようなところで行いました。本日はHuMAの外科医、救急医がフルに活動した一日でした。

【診療報告】
約束の8時にODHへ行ったところまだERに患者はおらず、「何かあればお願いします」とのこと。せっかく時間があるので病院の状況などをさらに把握すべく、情報収集に回った。

病院前に設置された診療テントを昨日に続き再度一度見て回ったところ、入院機能を担っているテントは各国赤十字の混成隊で運営されているが、それとは別に自力で徒歩で来られた方(Walk in)のみの外来診療をしているテントがあり、それは赤十字ではなくMercy Malaysiaが運営していた。

見学、インタビューの内容:
・診療は6診体制でそれぞれに通訳がついていた。
・小外科手技、Walk inの受診患者は基本的にMercy Malaysiaが診療する。院内のERはMercy Malaysiaが診察して、重症であったケースや救急車での搬送ケースを診ている。
・医師は5-6名で、午前中に150人、午後に150人の患者を見ている。
・特別な検査器具や道具はなく、診療スタイルは今回のHuMAに近い。
・病院所属の医師は総合診療医、臨床研修医が中心で、外科的処置が得意な医師がいない。
・内科医は4名、外科医は4名、産婦人科医も4名だが、それぞれ半数以上が臨床研修医もしくは研修医とのこと。

そのため我々が外科医、救急医であることを知って、切開排膿を必要とする患者の診察を依頼され、数名の処置を行う流れとなった。

具体的には
① 49歳男性の下腿の蜂窩織炎(排膿あり)を大きく切開し、洗浄、排膿、ガーゼドレナージ
② 4歳男児の感染性嚢胞を穿刺
③ 22歳男性の手掌蜂窩織炎に対して切開排膿
を行った。それぞれカルテ記載し、HuMAカルテにも写しを作成。 本日は午前中でMercyの活動は終了となり、HuMAもそれに合わせて一旦休憩、帰国する医師をOrmoc港まで送った。

さらに、本日の病院の産婦人科の日当直医であるAmoroto医師に、産婦人科医であるHuMAの医師から聞き取りを行った。
・ODHには産婦人科医は5名おり、一人がChairmanであるAmoroto医師、他に2名のスタッフ、二人の臨床研修医がいる。
・休日夜間も交代で1名が院内に当直する体制。
・1日に通常分娩が15件前後、帝王切開が予定と緊急あわせて2-5件。
・台風の後、緊急帝王切開を要するような胎盤早期剥離などのケースや早産のケースが増えている。しかしこれは台風の影響というわけではなく、周辺の中小の病院で産科診療が再開されていないために患者が集中しているからとのこと。
・土日は緊急手術があったとしても、麻酔科医もおらず手術も一人で看護師と行っているので、もし緊急手術があったら手伝ってほしいと言われ、了承した。

その後、実際に前置胎盤の患者がERに来院し緊急帝王切開を行うことになり、麻酔、助手を依頼された。しかし、なかなか手術が始まらず、理由は「腰椎麻酔のためのスパイナル針と、手術用の吸引嘴管がない」とのこと。しかもそれは患者家族が自分たちで院外の薬局で買ってくるのが通常の決まりとのことで、買いに行った家族が帰って来ないために手術が開始できないという、日本では想定外の理由であった。

ODHのERでは
① 32歳男性 左大腿から下腿にかけての大きなポケットを伴う汚染創+膝蓋骨骨折
② 27歳男性 前額部挫創
③ 30歳男性 右腕挫創
④ 24歳男性 興奮状態(心因性が疑われた)
などの患者を診療した。外科的処置は主に現地医師とともに行い、カルテ記載。処方は協議の後、現地医師に任せた。HuMAカルテに写しを作成した。

時間を区切って緊急帝王切開が始まるのを待ったが、なかなか手術が始まる気配がなく夜間にかかる様子であったため、申し訳ないが手術の補助ができない旨をAmoroto医師に伝えて本日の活動を終了とした。

最終的に診療した患者数は少なかったが、それぞれの処置は時間を要するものであったため、充実感のある診療であった。また今回のミッションでは初めて、他の組織との協働を経験したのは、今後のHuMAの活動を検討するうえで非常に貴重なことであったと思う。